黒兎です。今回、実は病みに病んだ勢いで色々と遺言めいたことを綴った記事になっていたのですが、日を改めて読んでみるとあまりに達成不可能な内容だったのでこのようなタイトルになってます。因みに本来のタイトルは「今後の予定について」でした。もう知らん。

ただ、結構頑張った痕跡はあるので、これはこれで投稿しておこうと思います。以下スクロールしてどうぞ。





















9月ですね、どうも黒兎です。今回は真面目なお話なので茶番は抜きで。


今回の話は特にTwitterをフォローしてくれている人向けの内容になりますので、単にブログが読みたくて来てる人にはあんまり興味ないお話かもしれません。というか、本来このブログはpixivに活動報告機能が無くて作ったやつですからね、こういうことを流す場でもあるのです。勢いに任せて書いてるので支離滅裂になってたらごめんなさい。



これを書いているのは8/27なので実際どうなっているかは分からないんですが、きっと私のことですので9/1にはpixivでの拙作51作目にして新作短編「中野五月の一日」 が投稿されていることだろうと思います、まだ完成してないけど。その日に投稿出来てなかったらごめんなさい。近日中に投稿します。


それでこの作品を機にしばらくの間、具体的には今年度末の2020年の3月まで新作あがらないと思います。最近の投稿頻度おかし過ぎて投稿頻度を月一レベルまで下げたいと言っていたのですが無理です。書ける気がしないし、仮に書ける状況だったとしても精神的に耐えれないと思ってこの決断を致しました。それに伴い、このブログとも繋がっている天河黒兎のアカウントも同期間殆ど浮上しないものと思ってください。厳密に言えば、シンフォギアXVが放送されている9月末までは日曜夜には出没する予定ですが、それ以外はきっと上がってこないし、10月以降はばったり音沙汰も無くなると思います。


そして、この記事はその決断をするに至った経緯などについて書いていきます。


先述の通り、8月中旬辺りで拙作が50作を迎え、投稿頻度を下げることで釣り合いを取るつもりでした。その為に50作目を投稿して以降一週間くらい何も筆を取らずに過ごしていたのですが、その時に「私って創作してなかったら何も残らないんだな」と感じてしまいました。毎日が虚無のように思え、色褪せて見える。創作してた時には彩豊かだったのかと言われれば結構怪しいですが、少なくともあの時よりも日々が無彩色に感じたのは確かです。

すると必然的にTwitterを眺めることが多くなって…………で、その時に気付いてしまいました。私は楽しいから、やり甲斐があるから創作していた────ただそれだけではなく、“程良く現実から目を背けられるから”創作していたんです。キャラと向き合い、ネタを考えて、それをそのキャラに当てはめて適合させていく。その行為自体がある種の現実逃避になっていました。

そう思えば新年度からここ最近の異常なまでの投稿頻度の高さは、そこまでして目を背けたい事実があったわけで、それはきっと現実でもTwitter上でも思い当たる節があります。界隈の大勢からハブられて亡き者にされたとかね、今でもあれですよ。考える時がある。

ただそんなことで心が折れることはないんですけど、今回に関してはそれを含めて、あまりにも色々な要因が重なり過ぎていた。というか、創作することで目視しないように努めていたけど、いざぱたりと止めてしまって目視してしまったのです。

それは私の心を限りなくへし折ってきてしまった。折れに折れて、数年来の友人に辛くて泣きつきもしました。そんなことがあって、絶望を改めて実感して、地獄と相対することにしました。いつか胸を張れるだけの人間になれるように、したいことをして認めてもらえるように。

というか、本来娯楽のはずのTwitterで嫌な思いをする、現実を見せられて絶望するのって本末転倒で、その精神的なケアにも間接的になってしまってますね。そもそも人が楽しそうにしてるのを素直に喜べない性格だからね、仕方ないね。情報収集兼広告ツールとして始めたTwitterで確かにここ一年くらい楽しいことは増えても、最近はそれを凌駕するかのように絶望させる毒で溢れてるから………………マジでキッツいし辛かったりした


ここで一つ、御伽噺をしましょう。皆がよく知る「ウサギとカメ」です。


ある日、ウサギに鈍間なことを馬鹿にされたカメは山の麓までの競争を挑みました。その競争は予想通りにウサギが颯爽と駆けていき、最早逆転不可能なまでに距離を突き放しました。そこで慢心したウサギは途中で居眠りし、その間にカメがゆっくりにも進み続けて逆転勝ち。ウサギが目覚めた頃には全てが終わっていた………………これが正史のお話なのですが、もし仮にウサギが目覚めた時にはまだカメがゴールしていなくて、全力で駆けていってウサギが勝ったらどうなると思います? 多分、大体の人は考えたことすらないと思います。そもそも御伽が伝えたい教訓の改変に他ならないので。

でも、もし考えたら。今の私なら、ウサギが勝っても悔しいと思えます。理由はウサギの中では負けるはずのないカメに勝つのはあくまで“最低条件”であって、挑戦者であるカメ相手には大差をつけて勝たねば意味がないから。これではウサギのプライドはズダボロでしょう。試合に勝って勝負に負けたとは正にこのことを言うのかもしれません。
 

………………まぁ、なんでこんな御伽噺のifを途中にブッ込んだのか。何故題材はこれで、改変はこうしたのか。今回の件に関して、私をよく知っていた上で察しの良い方ならば全容が察せるのではないでしょうか。因みに全部が片付いたとしてもこの一件に関して一年は私の口から話すことはないです。全てが過去になって、良い想い出と思えるようになってからようやく話す時がくるかもしれません。正直分からん。



とりあえず纏めると、

・ 今年度は新作をあげない
・同期間Twitterに浮上することも(多分)無い
・色々忙しい

こんな感じでしょうか。因みにブログの方は気が向けば投稿しにくるかもしれませんが、正直未定です。何気に端末カクカクで普段の一記事書くのに二時間弱掛かってるので………そんな時間を作ってまでこれに着手するかは怪しいです。




ここからは余談なのですが、正直な話Twitterを含めて今年度の活動を全面的に自粛するのって辛い以外の何者でもなくて、こうすると考えた時やこうして筆を執ってる今は泣きながら書いてたりします。それほどにまで生活のサイクルの中に組み込まれた習慣だったので…………約半年間とはいえそれの喪失の影響はかなり大きいし、溜まったストレスを晴らす場所や方法も新しく作らないと駄目なわけで、今から先が思いやられます。全部自己責任で跳ね返ってきた結果なので贅沢は言えないんですけども。………………半年で人間として潰れてないといいな。

全て片付ければまた戻ってくると思います。断定出来ないのはこの半年で私が変わってしまうかもしれないから。心が廃れて創作に興味が失せてしまえば戻ってこない可能性だってあり得るわけですし(いやでも私ならそれすら創作に応用しかねないので戻ってこないことはなさそう)。少なくともTwitterで新垢が出来る可能性があるくらいでしょうか、分かりませんね。



最後に一つ。私の尊敬しているプロプレイヤーの言葉を。

「二者択一のクイズであれば話は別ですが、人生における大きな選択の殆どは、様々な要素が複雑に絡み合い、取らなかった選択肢がどういった結果を生むかは、想像の域を出ないものです。

であるなら、何かの選択に対して正解や不正解があると考えるより、自分の取った選択を正解にしてしまう。

そのために努力を続けている限りは、それは結末に辿り着く過程に過ぎず、後悔もまた通過点に過ぎない。」



これは全て私が選んだ道です。後悔はしていないけれど、心は確実に磨り減り病んでいく。でも、この言葉を胸に私は今の道を“正解”に出来るようにします。



それじゃあ、頑張ってきますね。また半年後、笑って会える日まで。